こんにちはよっさんです。今日は日本を代表する歌手の一人、中島みゆきさん。中島みゆきさんを代表する歌といえば、「時代」「ファイト!」「地上の星」「糸」、、他にも数え切れないほどありますが、今日はそこから少し離れた中島みゆきさんの歌の世界、自分がいいなと思った歌詞をピックアップし、独自視点で考察します。
誕生
1992年のシングルリリース曲で同年の「誕生/Maybe」というアルバムに収録されています。この中でピックアップしたいのは、2番の歌詞です。
振り返るひまもなく時は流れて
帰りたい場所がまたひとつずつ消えていく
すがりたいだれかを失うたびに
だれかを守りたい私になるのわかれゆく季節をかぞえながら
中島みゆき”誕生”
わかれゆく命をかぞえながら
祈りながら嘆きながら とうに愛を知っている
忘れない言葉はだれでもひとつ
たとえサヨナラでも愛してる意味
初めてこの歌を聞いたのは13歳くらい、、今40代になってこの歌が本当に心にしみます。精神的に来ているときに何度も泣かされた部分です。
7年前に父をがんで亡くしました。当時は出向中で、毎週名古屋に帰って少しずつ弱っていく父をお見舞いしていました。それでも、明日は仕事だから見舞いなんかいいから早く戻って休めという両親の優しさ、帰りの車で運転中にもかかわらず思わず号泣した日を思い出します。
この歌詞は決して親のことだけを歌っているものではないと思います。ただ、その別れの中にとてつもなく深い愛があり、それが言葉としてはサヨナラになる。。10代に理解できなかった歌詞だったからこそ、今深く刺さる歌詞です。
蕎麦屋
これはアルバム「いきていてもいいですか」に入っている歌です。後に斉藤和義さんがカバーしたことでも知られています。
風はのれんをばたばたなかせてラジオは知ったかぶりの大相撲中継
あいつの失敗話に けらけら笑って丼につかまりながら、おまえあのね、わかんない奴もいるさって
あのね、わかんない奴もいるさって
あんまり突然云うから 泣きたくなるんだ風はのれんをばたばたなかせてラジオは知ったかぶりの大相撲中継
くやし涙を流しながらあたしたぬきうどんを食べているおまえは丼に顔をつっこんで おまえは丼に顔をつっこんで
駄洒落話をせっせと咲かせる風はのれんをばたばたなかせてラジオは知ったかぶりの大相撲中継
中島みゆき ”蕎麦屋”
中島みゆきさんの歌詞で特筆すべき点の一つとして、歌詞の情景描写かと思っています。友人に誘われて蕎麦屋に蕎麦を食べに行く、学生時代にはそんなことも多くあったのではと思います。
そしてこの歌には逆に言うと具体的なことは何も書かれていません。主人公が落ち込んでいることはわかるのですが、なぜかわからない。失恋したのか、就職失敗したのか、仕事クビになったのか。
ただのれんやラジオの大相撲中継の描写、2人が蕎麦を食べている描写から、その絵はしっかりを描くことができます。その具体的な描写のなか、”おまえ”の言う一言です。”あのね、わかんない奴もいるさって”これも具体的に誰のことかは書いていません。何がそいつとの間であったのかも。でも、すごく共感する歌詞です。人はすべての人とわかり合うことなど不可能だと思います。仏教にも怨憎会苦という言葉あるように、会いたくない人とも出会い接することが必要な時があり、立場によっては、そいつに勝てない、逃げられないときもあります。共感は人を救うのだなと思います。自分もこの歌詞に今までいろんなことを重ねて乗り切った経験があります。
このあと、”風はのれんを~”の歌詞が再登場し、日常に戻ります。それが逆にこの言葉の意味を強めていると感じます。
不意を突かれた主人公は、くやし涙を流します。でも”おまえ”は丼に顔をつっこんで、自分の話をする。。これはあえてそうしているのだと思います。”おまえ”の優しさが伝わってきますね。
そして最後、また”風はのれんを~”でこの歌は終わります。サビで終わらず、Aメロの一行目で終わるところが、いつまでも続いていく日常を切り取った描写になっているかと思います。
まとめ
すいません、、、本当はもう少し話したかったのですが、気がつけば文字が多くなってしまいここで占めたいと思います。なにかのきっかけで中島みゆきさんを知ることになったら、ぜひ聞いてみていただけるとこれ幸いです。